貶められし神々 / Despised GODS

「我らの神以外の神など必要ない」

一神教が急速に発展していった中世。それらの宗教の信仰者にとっては、異教の神などその存在すら許されざるものであった。

むしろ邪悪な教えから魂を救済するという名目で、他地域・他信仰への侵攻を推し進める。その侵攻は土地を奪うだけでは飽き足らず、侵略した地域の住民の魂を蹂躙するべく、土着神を地獄の王と蔑み、聖人・賢人を悪の道化と罵り、信仰心を奪い去っていく。

人々の信仰心をも征服していくのが、当時の一神教という宗教の特徴だったといえよう。乱世の世の為政者、ましてや征服者にとって、この攻撃的な信仰、それによって得られる「信仰心」は、何よりうってつけのシビリアンコントロールの手段と成り得た。

強い宗教的陶酔は、「敵も人である」という認識を簡単に失わせ、また、信徒を「信仰に生きる勇者」、「死せる聖者」にさせることも容易だったのだ。

自らの領域にないもの、それ即ち「悪」。

・・・だが、しかしである。一神教の信仰の多くがこのような排他的な論理展開を育て上げた背景には、民族間に度々巻き起こった迫害の歴史が潜んでいるのではなかろうか。窮鼠猫を噛む、長きに渡り迫害を受け続けた民族の信仰が発祥であるが故に、攻撃的性格になることはやむを得ない流れでもあったのか。

もしかすると、この迫害の往復という苛烈な行為は、民族レベルでの自己防衛本能の表れであったのかもしれない・・・。